ショタケお疲れさまでした(^^)2008年05月05日 23:59

おなじみのうちのサークルのブース。座っているのはお疲れのSun氏。
 すっかり遅くなりましたが、ショタケお疲れさまでした^^。いろいろ個人的に葛藤がありまして、mixiから遠ざかっていました。その後もいろいろあって、この日記は当時書いていたものを後に加筆修正しています。最近オフ会レポとか実ハンドルで書かない傾向にありますが、本名ではないしいいかなと思います。では、いつも通り藤子不二雄A先生の「トキワ荘日記」風の口調でお楽しみ下さい(^^)。


 7時40分、あしべる氏のプリメーラでSun邸を出発。つくばエクスプレス某駅に車を置いて区間快速にて浅草へ。浅草寺の本堂前をカートを押して雑踏を突破し、都産貿へ。下でELE・あしべる両氏と別れて会場入りする。入口で例の年齢チェックを受け(どう見ても18歳以上だが)、赤いリストバンドを装着される。「蜜猫プロジェクト」さんがお隣り。やはり、同傾向と思われているのか。去年はk森さんで、すごく緊張してお話させてもらったっけ。軽くご挨拶して、店開きの準備。見本誌は、委託のまぁる氏からお預かりしてまとめて提出することにする。見ると、見本誌チェックには長蛇の列が。列中にウサギの時計・フィロのご両名がいらっしゃったので、聞けば見本誌1冊ごとにチェックリストが要るとのこと。近くのコンビニに走って、必要量をコピーする。10時半、まぁる・アル両氏と会い、入口付近で委託品を預り、その足で見本誌提出。とりあえず預って、検品の上問題があれば連絡するとのこと。準備万端整って、カタログをチェックしたり、まぁる氏の委託品を拝見したりする。アルさんとのコラボで、両氏らしい作品だった。11時になれど開場の気配なし。伝え聞けば、チェックに時間がかかっている由にて、15分程度遅くなるとのこと。結局、開始の声を聞いたのは11時半だった。
 周囲を見渡せば、櫛の歯が抜けたように、辞退サークルの空席がある。左隣や、並びの超大手も欠席で、不安がよぎる。それでも、顔なじみの姿を見つけると安心する。来訪者のご芳名すべては列挙しないが、会場に来れない方は別として、いつもの皆様に来ていただいてうれしかった。知らない方から、「自分も藤子系好きです」とか、「いつもサイト拝見しています」と声をかけられると、徹夜でがんばった甲斐があったというものである。昨日の昼からまともな食事をしていないので、空腹と、激しい眠気が襲うが、差入をいただきながら何とかしのぐ。ELE氏とあしべる氏が戻ってきたところで、仲良くしてもらってるサークルさんにあいさつ回りに出かける。Sun氏は私に増して激疲労なので、氏を残して一人で外遊に出る。「サークル白ウサギ」・「TEDDY CAT!」、「広域避難場所」、「ちゃぶ~堂」、「府道21号線」「天晴!」、「大きな木の下で」とお隣り密猫さん。差入れを渡して作品を購入し、情報交換。今回は新作を自粛したとか、ウチはぎりぎりですと言われたとか、イベントの傾向と対策などあれこれと。その結果、思った通り「コミケ基準」なら問題ないこと。過剰な自粛をしなくても、ほぼ今までどおりでいけそうなこと。そして、次回会場を変えればいいのではないかという結論に達した。残念ながら辞退組の「ようかん亭」照山氏などには会えなかったが、巡回中に坂本さんに出会ったり、haruboさんに先日の寄稿させてもらった作品をいただいたり、今回サークルとして出てない皆様もお元気そうで何よりだった。
 閉会時間が近くなると、オフ会をどうするかに人々の関心が移ってくる。前回、前々回と、会場探しとかに尽力したものだが、今回は旗振りが揃っているので、お任せすることに。会場は混雑する秋葉原を避けて、最近恒例の神田の「千年の宴」にすることはすぐに決まったが、参加者の確定に手間取る。予め予定を立てて案内したらいいのだが、成り行きに任せるのがいつものやり方だ。それぞれにおつきあいもあるので、あまり無理にお誘いしてはご迷惑になる…というのもあるのだ。連絡を取り合って調整に力を発揮するnobi氏。さすが幹事長歴10年(?)のベテランだ。申し訳ないが、疲れているので甘えさせてもらう。
 15時過ぎ、無事閉会にこぎつける。アナウンスに、次回も開催されることを祈りつつ拍手を併せる。リストバンドを取ってもらって、会場を後にする。地下鉄で神田に移動し、宿泊組4人のチェックインを待ってもらって、綾波・嵐・ひろりん・nobi・あしべるの各氏と向かいのラーメン店「山頭火」で軽く時間調整。うちの県出身の漂泊の自由律俳人種田山頭火の名前をもつ同店のことは知っていたが、お勧めの塩ラーメンはさすがに濃厚な味わいで美味。あしべる氏に味玉を半分もらう。ありがとう。すずねさん到着の報を受けて外へ。開店前の「千年の宴」に入ろうとするのを引き止めて、しばし路上で歓談。そのうち雨が降ってきたので、「屋根のあるところへ移動しましょう」と、nobiさんが誘ったのはごく普通の軒下で、みんな一列で雨宿りしているのが何となくおかしい。時間になったので、皆さんを会場に通して、nobi氏と二人JR神田駅北口へ。道みち近況の話など。17時、まぁる・アルの両氏、森谷けいと氏とご一行様が相次いで到着。会場へ案内する。
 定刻になり開会。生ビールで乾杯し、ELE氏の残り物の瓶ビールを飲んでいたら激しい眠気に襲われてうとうとしてしまう。たいていアルコールが入ると眠くなるのだが、今回は特に2日続けての徹夜後だから仕方ない。それでも、すずねさんの長崎旅行の話や、みなさんの近況をいろいろ聞けて楽しいオフ会だった。途中で、けいと氏に本をいただく。以前、氏が大変なときに、一冊本を贈ったことがあったのだが、そのことをとても喜んでくれていたみたいだ。いろいろ問題を抱えていたときだっただけに、お心遣いがうれしく、有難く頂戴する。
 二次会は上野の「パセラ」でカラオケ。一次会で帰られる方に別れを告げて、京浜東北線にて移動。道みち、星佑さんと近況とかお話しする。大部屋は取れず、二室に別れてしばしカラオケを堪能する。ウサギの時計さんに電話をいただく。あちらの一次会が終わって、こちらに合流していただくことになっている。店の前でお迎えして、ご一行様を大部屋に案内してさらに盛り上がる。二時間が経ち、まだ残るという方々を残し、上野駅へ。神奈川方面に帰る方が二人おられたので、先に来た山手線を見送って、京浜東北線に乗る。車内で星佑さんたちと別れて、神田で降りる。けいとさんといろいろお話。元気そうで何より。宿が違うので、分かれ道で別れて、ひとりで定宿に帰って寝た。とても充実した一日であった。

先生のお墓参り・ドラえもん展12008年05月06日 23:00

先生、生前にお逢いしたかったです…。
 ショタケの翌日、私はいつも通り早起きして、神田駅から地下鉄銀座線・日比谷線を乗り継いで築地へ。別に魚市場に行くわけじゃなくて、本願寺築地別院(築地本願寺)の晨朝勤行に参列するためです。いつ来ても不思議な建物です、築地本願寺は。朝からほかの信者さん達に併せて正信偈を称えると、身も心もリフレッシュします。煩悩だらけの人間ですが、それでも救ってくださるというのは、有難いことです。
 一度宿に戻って、Sunさん、ELEさん、あしべるさんと秋葉原駅へ。ここで二人と別れて、Sunさんと京浜東北線南行の車内へ。川崎で南武線に乗り換えて、津田山という駅に降り立ちました。駅の近くに、川崎市営緑ヶ丘霊園という墓地があります。ここに、藤子・F・不二雄先生は眠っていらっしゃるのです。
 Sunさんと折半して、花と線香を買って、事前に調べておいた区画へ。結構な距離を歩いて、ようやくたどり着くと、なかなかお墓が見あたりません。番号が1番だったので、一番端かと思ったら、手前から二番目でした。「端っこと思ったでしょう。」いたずら好きだったという先生のお声が聞こえてきそうです。偉い人のお墓って、とかく立派に造りがちですが、ごく普通のお墓で、それがいかにも偉ぶらない先生らしくて好ましく感じました。手前左側のドラえもん形の名刺受けが、ここが国民的漫画『ドラえもん』の作者のお墓であることをさりげなく表しています。
 我々は、早速お墓に水をかけて、お花を生けて、線香に火をつけました。そして、並んで正座して、手を合わせました。何をお話ししたらいいんだろう…今、隣の人とコンビなんですが、二人で長く続けるのって、どうしたらいいんでしょう。なんか、そんなことを考えていました。
 先生のお墓にお参りして、私は長年の疑問を解くことができました。やはりそうだったのか、という思いを胸に、先生のお墓をあとにしました(それについては、いつかまた書きます)。
 途中、ジュースを飲んで休憩。藤棚が、とてもきれいでした。

 そのあと、再び南武線に乗って、こんどは登戸駅へ。そして小田急線に乗り換えて、新宿を目指します。先生も、小田急で通勤されていたんですよね。小田急の車内でオバQを思いつかれたというのは有名な話です。感慨にふけりながら、吊革を握っていました。…以下、次の日記へ続く。

先生のお墓参り・ドラえもん展22008年05月06日 23:45

どこでもドアとみんなの笑顔。『ドラえもん』よ永遠なれ。
 (1から続く)
 新宿駅から、JR中央線快速、中央・総武緩行線を乗り継いで西荻窪駅へ。ちょうど駅前に停まっていた関東バスに乗りました。東京のバスは前乗り・料金先払いだから、ちょっと焦ります。約5分乗って、荻窪警察署前で下車しました。ここには、先生とトキワ荘仲間だった鈴木伸一先生(ラーメンの小池さんのモデル。藤子アニメの監修でも有名です。)が館長を務められる「杉並アニメーションミュージアム」があって、今回「夢は無限 藤子・F・不二雄の世界」展が開催されているというので、二人で来たというわけなのです。
 展示スペースの前には、「どこでもドア」と、待っているのび太くんを始めおなじみのキャラが。コーナーはそんなに広くなかったですが、やはり我々の目は生原稿へ釘付けになりました。のび太の部屋の設定があって、枠外に「今時クーラーがないのはかわいそうだから、古いのをつけてやりましょう。」というようなことが書いてあって、先生の、まるで我が子に対するようなのび太への愛情を感じて、とてもうれしくなりました。紹介文のなかに、「世界中の『のび太』に、生きる勇気を与えてくれた…。」というようなことが書いてありました。自分も「のび太」の一人として、『ドラえもん』や藤子漫画からいっぱい希望をもらったので、本当にその通りだと思いました。先生ありがとうございます…。
 ミュージアムをあとにして、黄色いラインの中央・総武緩行線に乗って、秋葉原へ。ふたたびELE氏、あしべる氏と合流して、ヨドバシカメラマルチメディアAkiba8Fの「神田グリル」にて早めの晩餐。ハンバーグがとてもおいしかったです。そのあと、三氏と別れて、新幹線で帰りました。年に一度のショタケットと一連の楽しみ。今年はペース配分を間違って、本番前夜に徹夜になったけど、来年はゆとりを持って、もっと楽しみたいと思います。関係各位、大変お疲れさまでした。来年もどうぞよろしく(^^)。

いわさきちひろ展と今頃ドラ映画鑑賞2008年05月11日 23:59

場末感がたまらない萩ツインシネマ。しげおか病院の提供でお送りします(笑)。
 今日は、山口県立美術館で開催されている「いわさきちひろ展」を観に行きました。
 パークロードに面した県立図書館前の無料駐車場に車を駐めて、開館直後の美術館へ。ここの展示方法は、できるだけ作品と観覧者の距離を近くする工夫がされていて好印象です。作品だけでなく、アトリエも再現されていて、家族のポートレートと併せて、ちひろのぬくもりが伝わってくるような展示でした。いわさきちひろの絵は、何と言っても眼が魅力的ですね。子どもたちの透明な瞳で見つめられると、自分がいかに汚れてしまっているか恥ずかしくなるようです。中に、「あの子はかけて行ったっきり」という、ベトナム戦争で死んでいった子どもを描いた絵が印象に残りました。彼女の夫は日本共産党の国会議員だった松本善明氏であるのは有名な話です。思想的背景を切り離して考えると、かえって見誤るのではないかと思います。はじめに戦争ありきの発想から、最も遠い考えをお持ちだったのだろうと思います。その想いに深い共鳴を感じた展覧会でした。
 それから、国道262号線で萩市へ。「ふじたや」という蕎麦屋で、せいろそば(7段)を食べました。小さなせいろに、温かいそばが入っており、うずらタマゴ入りの温かいつゆにつけて食べるのだが、とてもおいしかったです。そのあと、萩に来た目的、「萩ツインシネマ」へ。実は、まだ映画ドラえもん「のび太と緑の巨人伝」を観ていなかったので、まだ上映しているこちらへ来たというわけなのです。一度閉館した映画館を、有志が引き受けて運営しているとのことで、シネコン全盛のこの時代、いつまでも頑張ってもらいたいものです。子どもの頃に行った映画館のようで、場末な感じがかえって懐かしくていいのではないかと思います。館内は子どもがたくさん見に来ていましたが、混雑するわけでもなく、ゆっくりと鑑賞することができました。
 で、感想なんですが、正直言って途中で何が言いたいのか解らない箇所があって、少し心残りかなと思いました。ちょっとジ○リ意識しすぎかな…。『ドラえもん』はドラえもんでいいと思います。できれば、「てんとう虫コミックススペシャル」の漫画の通りのストーリーだとわかりやすかったのですが。
 映像はきれいでしたね。緑の多い山と、その間に広がる住宅地が、先日お墓参りで訪れた川崎市津田山のあたりを彷彿とさせてくれました。こうやって今年も映画化されて、『ドラえもん』ファンとしてうれしい限りです。来年も期待したいと思います。