ありがとう、ぼくらの夢の超特急。2008年11月30日 23:59

この姿をもう見ることはできないのか…。
↑新山口駅でのお別れの言葉は、「バイバ~イ」でした。

 今日、0系新幹線が定期運転の最終日を迎えました。「こだま638号」の指定席が取れたので、広島まで行ってきました。最終日ということで、たくさんの人が集まっていました。普通、こういうさよなら運転の時は、ほとんど「鉄」な人が占めているのですが、やはり多くの方々の中に想い出として残っている「超特急」だけあって、年配の方や親子連れとか、普通の方々が自然に別れを惜しんでいたのが印象に残りました。
 途中、徳山、新岩国と、後続の「ひかり」や「のぞみ」に抜かれるために長時間停車します。都度乗客は降りては、先頭車で写真を撮っていました。テレビ局なども来ていて、本当に愛されている車輛なのだと思いました。
 私は子どもの頃、よく利用していたのが徳山駅だったので、特に徳山駅のホームに停車する0系を記憶に焼き付けておこうと思いました。家族旅行も、小中高の修学旅行も、全部当たり前のように0系でした。正直言って、あまりに身近すぎて、特別な思いを寄せることもなかったです。いなくなると聞いて、初めて気になる存在になった、そういう感じかもしれません。
 しかし、あの完膚無きまでにたたきのめされた敗戦から、わずか20年も経たないうちに世界最速の超特急をつくりあげたこの国はすごいなと改めて思います。私の生まれ故郷に、新幹線の車輛をつくる日立製作所さんの工場があるのですが、誇りに思います(別に関係者ではありませんが)。
 大混雑の広島駅で0系を見送って、西広島駅前(己斐)の「はっぴ」というお蕎麦屋さんで蕎麦屋酒(^^;。板わさを肴に純米酒をいただき、鴨ざるで締めました。「ひろしま翁」が閉店してしまったとのことで、本格的な手打ち蕎麦屋として貴重な存在です。二八ののどごしのよいおいしい蕎麦でした。
 そのあと、紙屋町まで出る時間がないので、JRで広島駅まで戻って、駅前の百貨店福屋10Fのジュンク堂で本を買ったあと、こだま659号を見るため再び広島駅へ。改札を抜けると、さよなら0系乗車記念と、ペーパークラフトを配っていたので、自由席特急券を見せていただいてきました。
 ホームに上がると、身動きできないほどの人、人、人…。このまま待ってもこだま659号に乗れないかもしれないので、地元新山口駅でお見送りがしたかったので、先に来た「のぞみ」に飛び乗って先まわりすることに。新山口に着いて659号を待っていると、その前に博多方面から回送列車が到着するとの放送が。何気なく待っていると、来たのは何と九州新幹線直通用のN700系の試運転でした!。薄青色のボディがなんとも微妙な色合いですが、早く鹿児島中央まで乗り換えなしで行けるようになったらいいなと思います。そのときは、鹿児島の若い友人とオフ会ができたらいいな。それまでお互い元気で頑張ろうと、その方のことを思い浮かべていました。ちなみに、博多ではこの車輛と0系が並んだそうです。新旧交代の一瞬の出来事、見てみたかった気もします。
 試運転車が去って、いよいよこだま659号がしずかに入線してきました。たくさんの方が、カメラや携帯を向けています。それぞれ想い出に浸っているようで、ぐっとこみ上げるものがありました。
 「まもなく、こだま、659号、博多行きが、発車します。ドアが閉まります、ご注意下さい。お見送りの方は、黄色い線まで、お下がり下さい…」新幹線特有の、あの機械口調の放送が流れて、いよいよお別れの瞬間が来ました。まわりの人は、どうやって別れを惜しむんだろうと思っていましたら、親子連れのお母さんが、「バイバ~イ」って言って手を振ったのをきっかけに、何人かの方が「バイバ~イ」って、手を振りました。0系はそれに答えるように、タイフォン(汽笛)を鳴らして、大勢の人に見送られて、暮れなずむ西空に向かって、しずかに去っていきました。
 ありがとう、0系。僕らの夢の超特急…。

仙崖展と九州鉄道記念館2008年09月14日 23:59

「月光型」と呼ばれる寝台電車581系。国鉄史に残る名車です。
 門司の出光美術館で、仙崖展があったので観に行きました。
 仙崖義梵って人をご存知ないですよね?。江戸時代、福岡を拠点に活躍した臨済宗の禅僧で、この方の描く禅画がとてもいいのです。禅画というと、なんか「これが悟りぢゃ」としたり顔で言ってきそうな嫌味を感じるものもありますが、仙崖の作品はどこかユーモラスで人間味があって好きなんですよ。
 ご存知の方は知っているとおり、出光興産の創業者、出光佐三氏によって見出され、その作品のほとんどを出光美術館が所蔵しているので、出光発祥の地、門司の出光美術館で、こうして企画展を拝見することができるのです。
 仙崖の作品に魅了されたきっかけとなった絵に、「坐禅蛙」というのがあります。最小限の線で蛙の絵が描いてあり、「坐禅して人が佛になるならば」という画賛が添えてあります。今回、もちろんその「坐禅蛙」も展示されていて、しばらくその前で動けませんでした。あと、「猫に似たもの」という言葉と共に描かれた、まるでのび太の丸眼鏡をかけたような虎の絵や、「とど画賛」という、当時めずらしかったであろうトドを描いた作品などの動物ものが気に入りました。
 あとは、禅画でよく採り上げられる円相もありました。忘れていけないのは、○△□の絵です。今は出光興産本体に合併しましたが、出光石油化学のマークにも使われていました。スタンドにも一時期描かれていましたね。宇宙を表すそうです。金子みすゞではありませんが、みんなちがって、みんないい、という境地かなと自分的には思います。やはり、本物はいいですね。来た甲斐がありました。

 そのあと、九州鉄道記念館へ。以前から来ようと思ってなかなか機会がなかったのです。目的は、もちろん廃車になった実車の展示です。九州に縁のある車輛が8輛展示してあります。長いこと豊後森機関区跡に保存してあったキハ07を見たかったので、車内に入れてうれしかったです。木造の車内の質感、クラッチペダルのある機械式気動車のメカニカルな運転台が素晴らしいです。あと、ぼくらが子どもの頃に憧れの特急電車がありました。ボンネットタイプの485系もですが、寝台電車581/583系が懐かしかったです(注:展示してあるのは近郊型に格下げされたものを旧塗装に塗り替えたもので、現車と車内は異なります。)。プルマン式の寝台も再現され、ベネシアンブラインドや折り戸など、古き良き時代の国鉄特急の香りを今に伝えます。子どもの頃、家族旅行で寝台列車に乗ったのが、この581系でした。何度もお世話になった思い入れのある車輛です。…ちなみに、寝台車に乗ったときは、もうおねしょの心配はなかったんですが、ちょっとだけおねしょしちゃったらどうなるんだろう?とか思ったものでした(^^;。今、現役の子どもがそんな質問をしたら、車掌さんにおしりぺんぺんされるよ、と答えることにしましょう(笑)。それはともかく(^^;、好きだった頃の国鉄車輛に触れて乗れて、しばし鉄道少年に戻ったような気持ちになれました。