野比家が無重力2009年01月02日 23:59

 興奮もさめやらぬうちに…。
 年末ドラえもんSPのうち、うちらの間で注目を集めていたのが、「野比家が無重力」でした。原作屈指のお下品(褒め言葉)で、前回大山時代にカットされてしまったシーンなので、期待と不安が入り混じる複雑な気分でした。展開によっては2009年の『ドラえもん』を占う重要な意味をもっていたのです(大袈裟^^;)。
 とりあえず先作をフォローすれば、何分午後七時台という食事時間帯、ビジュアル的に無理と判断して省略されたのではないかと思います。それは、わさドラでもですが、「しかしユーレイはでた」で、「デタ、デタ」とか言ってトイレから出てきながら、止められずおしっこを室内にまき散らしながら走る場面がなかったりするのは、ひとえにそういう理由があると思います。
 で、ご覧になった方はご存知のとおり、ちゃんとやってくれました。SPだから食事時間を外せたからですかね。のび太は見事に頭から足まで、おしっこでびしょ濡れになってくれました^ー^ゞ。おもらしだとズボンより下しか濡れないのが、全身びしょびしょですからね。「ユーレイはでた」でもですが、この子は途中で止められない身体なんでしょう^^;。めんどくさがりだし(「いただき小判」とか)、ぎりぎりまで我慢してトイレに駆け込むタイプなのでしょうねえ。で、間に合ったり間に合わなかったり…(*^^*)。今年は「四タテ」「セカチン」「ロボット背後霊」に続くおもらし&おねしょネタを期待したいですね。
 でも、それだけでは屈指とまで言いません。しっこまみれのび太が、不用意におならをしてしまい、その噴射でこともあろうにしずかちゃんに向かって突進していくというおバカ(もちろん褒め言葉)な展開(^^;;。それでなくても日に何回もお風呂に入る潔癖症のしずちゃんのこと、あのまま抱きついたりしたりしてたら、間違いなく二度と口をきいてもらえなくて、未来は変わってしまったことでしょう(笑)。「メロディーガス」「ジーンと感動する話」と並ぶ、のび太の三大プ~話でもあると思います。おならのジェット推進なんて、子どもなら手を叩いて喜びそう。下ネタでお下品だけど、決して下劣にならないところが、さすがF先生らしくちょうどいい匙加減に仕上がっていると思います。そういえば「メロディーガス」もわさドラでやってほしいな。やはり食事時間中だから遠慮してるのかなあ。ヘ長調のハトプップ(笑)。
 最後にちょっとまともなことを。原作(23巻収録)で、扉絵の横、見開きの左側の5コマは、サイレント漫画として絶品です。語らずとも、ドラえもんとのび太の会話が伝わってきます。無駄のないコマ割り、過不足ない台詞もまた、この名作漫画の魅力です。

未来記2009年01月01日 15:53

 とりあえず、今日元旦からブログを始めました。
 ブログのタイトルですが、以前から温めていた名前、「めておらいと」とさせてもらいました。「このブログについて」に書きましたが、二つの意味が入っています。隕石を意味するmeteoriteに、Meteorが書くということで、Meteor + Write という造語がかけてあります。
 サブタイトル、「大きな宇宙の小さな星に」は、かつての『ドラえもん』のED、「ぼくたち地球人」のフレーズから拝借しました。星つながりでもあるし、夢と希望にあふれたドラソングを代表するような名曲だと思っています。それについてはまた大いに語っていきたいと思います。
 これから過去日記も書いていく予定ですし、間が開いたりレスが遅くなったりすることがありますが、どうか長い目で見守ってやってください。どうかよろしくお願い申し上げます。

 今年の抱負とか。まずはサイトの立て直しですね。まともに更新できないまま、年を越してしまいました(^^;。1999年の千年末に始めたサイトも今年で10年。本業の準の絵物語はもちろんですが、もう一つの柱にする予定だった、藤子漫画に関すること、藤子ショタのコーナーの新たな展開を考えています。実は、去年から藤子ショタ熱が高まっており、自分的に準をないがしろにしている気がして、内心元に戻れなくなったらどうしようと不安でした。折しも、昨年はのび太好きな方々と新しい交流が始まり、どうお話していったらいいのかわからないまま年末になって、ああ、来年もこのまま中途半端のままかな…と思っていました。ところが、ある方ののび太チャットに参加して、もしかしたら新しい地平が開けていくんじゃないか、という希望を感じました。改めて、機会を与えてくださって本当に感謝しています。今年はこの絶好の機会を最大限活かしていきたいと思っています。同人活動の方で具体化していくつもりです。もちろん準の絵とお話もがんばりますので、これからも「遊来星図書室」とサークル「二次元ポケット」をよろしくお願いしますm(_ _)m。

♪行くよ待ってて~ 友達になろう~2008年12月29日 01:00

 ヒミツのお茶会に参加しました(^^)。
 お茶会と言っても、喫茶を楽しんだのではなく、チャットのことです。実は先日、チャットに参加したのですが、うまくいかずに腐っていました。このまま失意のまま年を越すのかと思っていましたら、もう一度チャンスをいただきました。今回は少人数だったし、主宰者さんにも気を遣ってもらって、とても楽しいひとときを過ごすことができました。のび太や藤子キャラのおもらしネタで盛り上がるなんて、今までSunさん以外には考えられませんでした。参加者の皆様、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
 …しかし、いきなりテーマが子どもの頃のおもらし&おねしょの体験談でした(^^;。みなさん案外経験ってないものですね。自分は小学校に上がってもどっちもやっちゃってしまいましたが(爆)。でも、そんな話からスタートしたので、とても話しやすかったです。主宰者様、本当に大感謝です。この勢いであるプロジェクトを企画中。なんだかとても楽しみですp(^-^)q。
 お茶会と言えば、本当の茶会で心がけるべきこととして、利休が戒めている言葉があります。「利休七則」と呼ばれていますので紹介します。
  茶は服のよきように点て
  炭は湯の沸くように置き
  花は野にあるように
  夏は涼しく冬は暖かに
  刻限は早めに
  降らずとも雨の用意
  相客に心せよ
 茶心のない自分が言うのもなんですが、亭主(主宰者さん)の見事な采配で、バーチャルなお茶会がうまくいったのだと思います。改めまして、本当にありがとうございましたm(_ _)m。
 今日のタイトル、『パーマン』のop「きてよパーマン」の一節です。チャットで、ある方とopのあるシーンが話題になったので、その返事としてタイトルに使ったものです。思えば、今から十年前、当時の藤子ショタなお友達(今も友達ですよ!)と、初めてオフ会をするときに、伝言板かメールで同じタイトルを使いましたっけ。その時の初々しい気持ちを想い出しました。もう縮小傾向かと思ったネットの交友関係、来年は新しい方々と楽しくやっていけそうな予感です。これからも末永く交流していけたらと思いますので、どうかよろしくお願いします(^^)。

ありがとう、ぼくらの夢の超特急。2008年11月30日 23:59

この姿をもう見ることはできないのか…。
↑新山口駅でのお別れの言葉は、「バイバ~イ」でした。

 今日、0系新幹線が定期運転の最終日を迎えました。「こだま638号」の指定席が取れたので、広島まで行ってきました。最終日ということで、たくさんの人が集まっていました。普通、こういうさよなら運転の時は、ほとんど「鉄」な人が占めているのですが、やはり多くの方々の中に想い出として残っている「超特急」だけあって、年配の方や親子連れとか、普通の方々が自然に別れを惜しんでいたのが印象に残りました。
 途中、徳山、新岩国と、後続の「ひかり」や「のぞみ」に抜かれるために長時間停車します。都度乗客は降りては、先頭車で写真を撮っていました。テレビ局なども来ていて、本当に愛されている車輛なのだと思いました。
 私は子どもの頃、よく利用していたのが徳山駅だったので、特に徳山駅のホームに停車する0系を記憶に焼き付けておこうと思いました。家族旅行も、小中高の修学旅行も、全部当たり前のように0系でした。正直言って、あまりに身近すぎて、特別な思いを寄せることもなかったです。いなくなると聞いて、初めて気になる存在になった、そういう感じかもしれません。
 しかし、あの完膚無きまでにたたきのめされた敗戦から、わずか20年も経たないうちに世界最速の超特急をつくりあげたこの国はすごいなと改めて思います。私の生まれ故郷に、新幹線の車輛をつくる日立製作所さんの工場があるのですが、誇りに思います(別に関係者ではありませんが)。
 大混雑の広島駅で0系を見送って、西広島駅前(己斐)の「はっぴ」というお蕎麦屋さんで蕎麦屋酒(^^;。板わさを肴に純米酒をいただき、鴨ざるで締めました。「ひろしま翁」が閉店してしまったとのことで、本格的な手打ち蕎麦屋として貴重な存在です。二八ののどごしのよいおいしい蕎麦でした。
 そのあと、紙屋町まで出る時間がないので、JRで広島駅まで戻って、駅前の百貨店福屋10Fのジュンク堂で本を買ったあと、こだま659号を見るため再び広島駅へ。改札を抜けると、さよなら0系乗車記念と、ペーパークラフトを配っていたので、自由席特急券を見せていただいてきました。
 ホームに上がると、身動きできないほどの人、人、人…。このまま待ってもこだま659号に乗れないかもしれないので、地元新山口駅でお見送りがしたかったので、先に来た「のぞみ」に飛び乗って先まわりすることに。新山口に着いて659号を待っていると、その前に博多方面から回送列車が到着するとの放送が。何気なく待っていると、来たのは何と九州新幹線直通用のN700系の試運転でした!。薄青色のボディがなんとも微妙な色合いですが、早く鹿児島中央まで乗り換えなしで行けるようになったらいいなと思います。そのときは、鹿児島の若い友人とオフ会ができたらいいな。それまでお互い元気で頑張ろうと、その方のことを思い浮かべていました。ちなみに、博多ではこの車輛と0系が並んだそうです。新旧交代の一瞬の出来事、見てみたかった気もします。
 試運転車が去って、いよいよこだま659号がしずかに入線してきました。たくさんの方が、カメラや携帯を向けています。それぞれ想い出に浸っているようで、ぐっとこみ上げるものがありました。
 「まもなく、こだま、659号、博多行きが、発車します。ドアが閉まります、ご注意下さい。お見送りの方は、黄色い線まで、お下がり下さい…」新幹線特有の、あの機械口調の放送が流れて、いよいよお別れの瞬間が来ました。まわりの人は、どうやって別れを惜しむんだろうと思っていましたら、親子連れのお母さんが、「バイバ~イ」って言って手を振ったのをきっかけに、何人かの方が「バイバ~イ」って、手を振りました。0系はそれに答えるように、タイフォン(汽笛)を鳴らして、大勢の人に見送られて、暮れなずむ西空に向かって、しずかに去っていきました。
 ありがとう、0系。僕らの夢の超特急…。

最後のニュース2008年11月07日 23:59

 筑紫哲也さんが亡くなられました。
 先日、ある方との会合のカラオケで、井上陽水の「最後のニュース」を歌ったのですが、虫の知らせだったのか…。
 筑紫さんの視点は、いつも少ないもの、弱いものからのものでした。反戦平和というと狭くなってしまいますが、常に戦争の危険性を訴えた方でした。権力の先棒担ぎのご用評論家の対局にある人でした。北極星みたいに、この方を目印にしていたら、いかにその論が偏っているかとか判断することができました。
 それだけに、これからは筑紫さんなしに我々は判断を求められることになります。今問題になっている論文も、筑紫さんなら一刀両断にしたことでしょう。この国が少しおかしくなっている今、もう少し生きていただきたかったです…。
 ニュースステーションが終了した時の筑紫さんの「多事争論」で、権力にたたかれるのは正統なジャーナリストとしての勲章であると言っておられましたが、至言であると思います。かのイラクで人質になった3人に対しての罵詈雑言(同胞を愛せなくて、何で国を愛してるのか不明な人たち。)に対しては、無私の3人と、誹謗中傷する人々と、どちらを我が国は必要とするでしょうかと問いかけておられたのが胸に残っています。最後の「多事争論」の「変わらぬもの」、何度でもかみしめたいと思います。どんなお話だったか、動画サイトでぜひご覧いただいたらと思います。さきほどやや悲観的に書きましたが、後に残る人たちが、「ニュース23」のDNAを、松明を受け継いでいってくれるものと思いますし、我々もまた自覚を持って応援していきたいと思います。
 話は戻りますが、「最後のニュース」、改めていい歌だと思います。まさに「ニュース23」そのものを歌っているのだと思います。果たして、この日本に、地球に、明るい未来が待っているのでしょうか。今 あなたにGood-Night…おやすみなさい。そして、お疲れさまでした…。